人から本を奪う者はどんな報いを受けるか

「人から本を奪う者はどんな報いを受けるか」 http://bit.ly/hDkNOd 
アメリカで実際に起こっている特定の書物を「禁書化」しようとする動きに対してのALA(American Library Association;アメリカ図書館協会)の抵抗活動について説明している。

自分が有害だと思うものに存在して欲しくないと思う人はどこにでもいて、それを止めようとする人も必ず存在する。いわゆる「禁書請求リスト」の中に「名作or傑作」と呼ばれる物が多くある現状を見ると、猪瀬副知事の発言(http://bit.ly/idFaFK)はひどく虚しい。

賛成派の意見の中に「エロは規制されて当然」と言う大前提があって、その前提を支えているのはもっぱら「嫌悪感」だ。
嫌悪感とは突き詰めると「個人の価値観」にすぎない。個人の「好き嫌い」を公序良俗という物差しにすり替えているのが、規制派のやり方であり、条例に賛成する人々のよって立つところだ。
そして、それは副知事の「傑作ならば規制されることなど無い」に代表される、低俗な物しか規制の対象とはならないから反対派は熱くなるなよ(笑)と言う一種の嘲笑にもつながっている。

でも、リンク先の「禁書請求リスト」を見て欲しい。
人類文学史上にリストアップされているはずの「傑作」が多数槍玉にあげられているのはどうした訳だろう。
つまり、嫌悪感と言う個人の価値観は、低俗だろうが高尚だろうが噛み付く対象を選ばない、と言うことなのではないですか?
反対派の人々が危惧する点はまさにそこにある。
嫌悪感を絶対基準として用いることは、無差別に表現に対して干渉することと同じことだったとこの「禁書リスト」は語っている。そしてその価値観は個人の資質や性向によって大きく左右されることは言うまでも無い。
都条例で言うなら、その運用はわずか十数人の人間によって決定されるのだ。

自分はリンク先のグーグルマップに立てられたピンの数に絶望を見ると同時に、こうやって視覚化する事で抵抗する人たちがいることにほんの少しだけ安堵した。

私たちは、決して孤独ではない。