萎縮の構造

誰かトゥギャッターにまとめてくれるかなーと思ってたけどその気配が無いのでこちらにメモります。
作家の「萎縮」についての過去の例や自分の体験を元にしたシミュレーションの一種だと思ってください。


(ここから)
ところで都条例について業界の皆さんもいろいろ発言されています。やはり一番懸念されるのが「萎縮」の件。これはおそらく一般の皆さんが想像する形では始まりません。最初は始まったことも分からないでしょう。
 まず条例が恣意的な形で用いられることがあるとすれば、かなり先の話になります。行政側は用いる必要が無いのです。単に文書の形でチラつかせれば済みます。それだけで、第一段階の始まりです。

「このたびこういう条例が制定されましたのでよろしくね♪」と言う文書が来た時点で、まず出版社側でのガイドライン作りが始まります。この作成には、元々の条例に具体的な根拠と言うか基準が曖昧なのでもうありとあらゆる可能性を考慮・配慮して危険と思われる例を片っ端からあげていきます。

当然ながらこの門外不出のガイドライン(作家はまず見せてもらえません)にもはっきりした根拠が無いので、出来上がったリストは膨大かつ被害妄想の塊、の見本の様な物になりがちです。分かりやすい例で言うと、「言葉狩り」が始まります。

たとえば、かつて自分が遭遇した例で言うと「混血児」はダメでした。でも「ハーフ」はいいそうです。他にも「片目」はダメで「隻眼」ならどうよと思ったらそもそも左右どちらかの目・手・足が不自由と言う点でアウト。つまり、ジョン・シルバーやキャプテン・ハーロックはデザインの時点で失格です。

これは大手週刊少年誌の一例です。大手ほど力があるから、と言うのは必ずしもそうではなく、かえって大部数のメジャー誌の方が気を使います。

単純な言葉狩りに作家が四苦八苦していると、今度は「シチュエーション狩り」が始まります。元々自主規制と言うのは逆チキンレースな側面がありますので、法律に対して大目の安全マージンをとる傾向があります。規制側の先を読もうとするわけですね。

やれセーラー服は出すなだの、子供が巻き込まれるのはNGだの…これは今のハリウッド映画でも厳しく定められている物によく似た傾向になります。そして、担当と作家同士のやり取りでこういったせめぎ合いを続けているうちはまだマシなのですが、社内にそういう判断を下す部署なんかが設置されたら悲惨です。

三者の目線で・・・なんて生易しい物ではなく、第三者だからこそよりツッコミは激しく、細かくなります。 さらにもし社内のコンテンツから条例違反で槍玉に上げられる作品が出たらどうなるでしょうか。次は「ジャンル狩り」の始まりです。

もう作品内のことについてではなく、そもそものコンセプトについてダメ出しが激しくなります。アイデアの時点で「これはダメ」「それは無理」と言われる不毛な打ち合わせがそこかしこで繰り広げられることになります。何よりも堪えるのは、その根拠が提示されないこと。

これは作家にとって一番辛いことの一つです。そのうちどう描いたらいいかさえわからなくなる事態になり、やがて「安パイ」の作品が重用されるようになります。その時点ではじめて、読者の皆さんは「最近の漫画つまんなくない?」と異変に気がつくわけです。

結局行政側は、条例そのものを見せしめに一回、あるいは使わなくても自分たちが持つ法律以上の規制を手にすることが出来るわけです。業界が勝手にしたことですから自分たちの手は汚れません。

なぜ今回の改正案が曖昧な条項があるのか、その最大の理由は「曖昧な部分を勝手に想像して萎縮してくれるから」と言う効果を分かっているからです。これは役所の発想ではなく、取り締まる者のノウハウ、つまり警察の発想ですね。

なぜこんな見て来たかのように言えるかといいますと、この一連のパターンは今まで何度も繰り返されてきた物だからです。最近では宮崎事件の20年前、古くは50〜60年前の悪書追放運動の頃から、こういったせめぎ合いを我々の先輩方は続けてきました。

ただし、今までと今回の件が違うのが、法律がターゲットとする対象が広く、流通に対する最終的な処罰がまだ明らかになっていないこと。また「フィクションに現実の罰則を適用する」という項目が加わった点が違います。より萎縮のレベルが上がったということです。

さて、これを踏まえたうえで私たちがしなければいけないことは何か。まず業界は作家とともに戦う姿勢を見せることが大切になります。これは出版社が商業活動である以上とても困難なことです。それだけに、先週のコミック10社会の動きは驚きであり、英断であったと断言できます。

我々作家の側も守秘義務と言う壁はありますが、何か理不尽な規制の壁にぶつかったとき、正直にその事実を公表し、世にその是非を問う、ぐらいのことをする覚悟が求められるかもしれません。その時、誰が作家を支えるかと言えばおそらくは読者の皆さんの力をお借りするしかないと思います。

みんながみんなタフでマッチョな精神の持ち主ならいいのですが、作家はどちらかと言うと色々なことを気にするからこそ、この職業しか選択肢が無かった(^^;と言う方が多いです。覚悟は決められても、それを持続しつつ戦うのは創作活動そのものよりも消耗するでしょう。

作家の心が折れかけたときに、最後の支えとなるのが読者の声です。アンケート、メール、サイン会、単行本の売り上げそしてネット上での書き込み…色々ありますが、その支えが存在すると信じられるなら作家は覚悟を決めて戦えると思います。どうかその時が来たらお力をお貸しいただければと思います。
(以上終わり)